昔から久下・新川は「お蚕さま」が盛んな村でした。大水が運ぶ土砂は害虫の少ない桑を育てました。蚕はこの葉を良く食べ、どこよりも品質の良い繭から、つややかな絹糸になりました。このお蚕さまのおかげで、久下・新川は大変豊かな暮らしができました。どの家も蚕小屋に「お絹さま」と呼ぶ姉さま人形のお守りを祀りました。お絹さまは白蛇の化身で、蛇は蚕を食べるネズミを退治するので、この「お絹さま」はどの農家も大切にし、主婦たちが毎年、冬の間に端布で手づくりで着物を着せて作るのが慣わしでした。

 この村に誰からも愛される三人姉妹がおりました。気立てが良い上に働き者でした。この村のほとんどの人がそうであったように、この家もお蚕を手広くやっておりました。ある年のこと、この家に相続いて不幸がおそいました。元気で働き者の父親が急な病いで亡くなり、そのお葬式も終わらない内に母親、そして長男が続いて亡くなったのです。三人姉妹とまだ幼い弟だけが残されました。

 親戚にみんなバラバラで引き取られていくよりは皆で力を合わせて働こうと姉妹は心に決めました。やがて春を迎えました。幼い頃から蚕仕事は手伝わされていたのでよく知っていました。隣近所の人達も手伝いなんとか仕事を続けていた時、一人の美しい見知らぬ女の人がこの家にやってきました。「遠い山に住む神様が夢枕に立ち、これを届けるようにと頼まれた」というのです。包みを開けると一本の鶴の羽でした。昔から鶴の羽でお蚕を掃くと、たくさんの良い繭がとれるといわれているのです。お礼をいおうと顔をあげた時、そこにはもう誰もおりません。不思議に思ってあちこち探しましたが、その姿はありませんでした。

 一番上の姉がその鶴の羽を蚕小屋のお絹さまの棚に祀ろうとして驚きました。お絹さまに着せてある花柄の着物はさっきの女の人と全く同じだったのです。その年のお蚕はとてもよい成績で、どの家よりも品質もよく高値で売ることが出来ました。これで離れ離れになることもなく暮らしていくことができました。それからは、いつまでも仲良く助け合って暮らしていったということです。


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